こつこつのコツ

ソーイングは気軽なもの

ソーイングは気軽なもの

手作りの服や小物を使っていて、人から褒められると嬉しいものです。それと同時に、少し複雑な気持ちになることもあります。というのも、その後に「私にも作れたらな~!」「自分には無理です!」と続けられることがまぁまぁあるからです。

どう複雑かというと、「そんなそんな~」と返しながらも心の中では、「あなたでもつくれちゃいますよ!」「手順どおりにやれば、誰にでもできちゃいますよ!」とソーイングをゴリゴリに推したい気持ちでいっぱいになるのに、簡単に推せないもどかしさ。

う~ん。ここで一言、何かアクションが起こせたら。その人がソーイングを始めるきっかけになれたら?何度も考えました。

でもそういうやりとりをするときはたいてい、子どもの送り迎えのときだったり、少しの世間話だったり、たまに用事で顔を合わせる関係だったり。相手がどれくらい本気でソーイングをやりたいと思っているのか分かりません。

対して私はいつだって本気。そして社交辞令を間に受けやすいところがある(幸せ者な)ので、相手との距離感や熱量をはかり間違えないように…と慎重になり、結果当たり障りのない会話しかできずにそういう場では終わってしまっていました。今思えば直接聞けばよかったですが、自分には相手に踏み込む時間がとても足りないと感じていました。

それに相手が本当にやりたかったとして、やるからには楽しさを感じてほしい。でも手取り足取りは教えてあげられない。相手がつまずいてしまったときにタイミングよく励ますのも難しい。やれば何かしらの方法はあったでしょうし、よく考えればその先は相手の問題です。でも自分が中途半端に勧めたせいで挫折してしまったらと思うと、なかなか行動に移せませんでした。

一度だけおせっかいを焼いたことはありました。

働きながら子育てをする姉に、兄弟でお揃いのパンツを作りたいと相談されたときのことです。
私は実の姉なら…と腹をくくり、忙しいだろうからと型紙をとるところまで私がやって作り方と一緒に渡したのですが、少し経ってから進捗を聞くと「ポケットを縫うところでつまずいた。私には難しかった~」とすでに諦めてしまっていたのでした。そのあとはお互い忙しくて結局なぁなぁに…。
せっかくやる気をもった姉にやっぱりできないと思わせてしまった。フォローも足りずその先のワクワクも逃してしまった。人にソーイングを勧めるにあたって、自分の見積もりの甘さを反省した出来事でした。

そんなこんなで、「ソーイングを勧めるならまず捉え方から変えて心のハードルを下げ、作りたいイメージと実際にできること、やること・陥りがちなことのギャップを丁寧にうめていかないといけないな」と思うようになりました。そのことについて語る時間が全く足りないと感じていた私は、まずはひとり語りでもいいからソーイングを語る場所が欲しくなりました。

ソーイングにちょっとでも興味あるのかな?会話でそう感じたときに、「こつこつぽけっとって知ってる?」と差し出せるようになれたらな、というのが私の目指しているところです。

ちょっと気になる人が、やってみよっかな~♪と思えるような。好きだけど普段は時間がとれない人も、一息ついて覗いたときに、ワクワクした気持ちを思い出せるような。

やるやらないにかかわらず、ふらっと立ち寄って見てくれたらな。いつのまにかソーイングが気軽なものに思えてくるといいな。そう思っています。

そう。ソーイングって実は気軽なものなのです。

では趣味としてのソーイングのハードルが高く思われがちなのはなぜなのでしょうか。

かくいう私も、その理由にたくさん心当たりがあるわけですが…。

ひとつは、「ソーイング=まとまった時間や場所が必要なもの」と思いがちなこと。
ゆっくり時間が取れたら…部屋がきれいに片付いて場所ができたら…そう思っているうちに時間が流れ、やらないまま日常が過ぎていきます。
ソーイング本の表紙によくある「1日でできる!○○○○」の、その1日をまとめて取ろうと思うから、エネルギーがいるように感じてしまうのはもったいないことです。

もうひとつは、ソーイングには工程が多いこと。ソーイング本を見て「このブラウス素敵!」と思って作り方のページを見ると、だいたい「作り方1.肩線を縫う」から始まっています。
といいつつそこに辿り着くまでに、初めてなら道具をそろえる、材料を買う・型紙を用意する・裁断をする・下準備などのやるべきことがあって、それを経てやっと1から縫うことができる。そこからまた2,3…と続きます。工程が多いのは否めません。
しかもどこかでつまずいてすぐに解決できなければ、調べ物ややり直しの工程が増えて、完成がどんどん後ろ倒しになるわけです。これは長い道のりに間違いありません。

それから、各種アレルギー。ミシンを出すのが億劫なのはいい方で、学生時代、家庭科でさわったミシンの「むずかしかった」イメージそのまま、ミシンを扱うというだけでソーイングに何だか気が引けてしまうミシンアレルギー。手縫いの場合は、結んでも結んでもいい感じにまとまらない…玉結びアレルギーもありますね。「玉結びもできなくて…」はソーイング苦手話のお決まりの文句です。

そして意外な落とし穴は、手芸屋さんでワクワク!いろいろ作りたいものが浮かんで布を買ったはいいものの、材料を買ってしまったその瞬間から「作りたいもの」が「作らなきゃいけないもの」に変わってしまうこと。

「やりたいこと」より「やらなきゃいけないこと」というのは面倒に感じてしまうもの。ちょっと置いたつもりがついつい後回しに。すると、ソーイングのことを考えるたびにその小さな罪悪感を一緒に思い出し、結果ソーイングが純粋にワクワクするものではなくなり心が遠ざかってしまう。そして忘れてしまうという負のループが存在すると私は感じています。

それから、せっかく作り始めたはいいものの途中でやめてしまうこと。その内訳は、気分は乗っていたのに材料が足りなくて中断してそのままとか、縫い間違えてやり直さなくちゃならないけど面倒で置いといてしまうとか、作ってみたら思ったより難しかったとか。
ワクワクだけで突っ走れたらいいのですが、ソーイングをやっていると中断してしまうトラップがいたるところにあります。

それは出来上がった後にも。「思ってたイメージと何か違う」からの「あまり使わなかった」となると、次にソーイングをやってみようと取りかかるのにさらに大きなエネルギーがいることになります。

ここまで書いてみて、ソーイングって気軽な趣味でしょうか?こんがらがってきましたが、私にとってソーイングはたしかに気軽なものです。

考えること、揃えるもの、手順が多くていっきにまとめてやるのが難しいということは、捉え方を変えると、やることを細かく分解して小さな作業に分けることができるということです。

ソーイングは気軽なもの

完成のイメージを持つことは大事ですが、いきなり全体を見なくていいのです。今目の前のあることを眺めて手にとる。いっきにまとめてやる必要はありません。

ソーイングは、生活の中でまとまった時間や場所を作ってどーん!と置くものではなくて、それぞれやることを小さなかごに入れておいて、生活必需品をちょっと端によけて空いたスペースに、合間合間に出し入れするもの。

私にとってのソーイングは、やってやってやってやっと完成…!というよりは、できたできたできたできた…なんかできちゃった~!という感じです。

それには全体の流れと、その中で今やることがはっきり分かっていること、合間をつなぐモチベーションが大事になってきます。それを持ち続けることがこつこつぽけっとのひとつのカギになります。